大変大変大変、お久しぶりのプログですね。
まあ、色々と書きたい事もあったのですが、PCの具合が悪かったりして、約1年半ぶりブログの更新ですね。
まぁ、2014年の7月より、神奈川県の藤沢市の辻堂という海から歩いて5分の場所に引っ越しをして、
大船のサロンと掛け持ちをしている状態です。なんだか、2015年も、あっと云う間に11月30日になってしまいましたね(笑)
いーんです。マイペースですから(笑)
皆様、如何、お過ごしでしょうか?
え〜と、トップページには、メニューのアイコンとは別に、UNIVERSEHANDSのアイコンをどーんと出しました。
まあ、それぞれのメニューの開発者や組織とは、オサラバすると云う意味合いが、大変強いです(笑)。
リコネクションのエリック・パール博士と写っている写真も、取っ払いました。
UNIVERSEHANDSも、発足して、今年で、5年目となるわけで早いものですね。
又、アクセス・バーズ®と云う「脳みそのデトックス」もメニューに追加しましたので、まあ、変更点はそのくらいでしょうか。
何から、話そうかと思いましたが、ここ1年半で、感じた事でも、話しますね。
(結構、異端な内容です!! 僕が、ありきたりで、つまらない内容なブログを書く訳はありません、笑)
濃厚な内容ですが、どうぞ、お付合い下さいませ。
「形態形成場(けいたいけいせいば)」と云う理論を打ち立てのは、
ケンブリッジ大学(トリニティ・コレッジなど)の教授である、
ルパート・シェルドレイク :Rupert Sherudrakeと云う生物学者です。
★Rupert Sherudrake online homepage
http://www.sheldrake.org/homepage.html (英語ですので解る方のみ開けてくださいね、笑)
ケンブリッジ大学のバイオロジーの教授である人の「ルパート・シェルドレイクの仮説」と言われ、公と云うか正規の学会では
「擬似科学」扱いされてしまっている状態だが、恐らく「学会」で承認されれば、ノーベル賞もののレヴェルの理論であろう事は疑いの無いものである。
形態形成場(以下「形態場(けいたいば)」と略) とは、生物学者のルパート・シェルドレイク博士が「何故、鳥や動物たちは、地球規模的に全く離れた場所なのに、同じ行動様式・行動形態を取るのだろうか??」と云う疑問を突き詰めて研究していたところ、
ある日本の猿しか住んでいない島に居る「イモ」と云う一匹のメスの猿にサツマイモを渡して観察していたら、海水に必ず浸して食べると美味しいと云う行動を示した。そうしたら、その島中の猿達がサツマイモを海水で洗って食べ始めた。ここまでなら、島内にいる猿の彼ら同士の独自のコミュニケーションで起こった現象に過ぎない。しかし、全く、別の場所に住んでいた猿が同時多発的に同じ様に、海水にサツマイモ浸し食べ始めたのである。
これは、インターネットも無い猿には、情報伝達的には無理な話である。
1つ言えるすれば「テレパシー的な」ものでコミュニケーションして伝播したとしか言えないだろう。
心理学的に言えば、深層心理学の巨人であるカール・グスタフ・ユングの「とある"集合無意識"が働いた結果の現象である」としか、説明がつかない。
これ故に、ルパート・シェルドレイクの理論は、「擬似科学」の域を出ていないのである。
左脳的な「学者たちの学会」では、左脳的な「論証」「学説」が無ければ、仮説扱い止まりだからである。
しかしながら「現象」や「体験」、そして「演繹的な直感・直観」が先であり、「理論」「論証」なんてものは、単なる後付けである。
それは、まるで「音楽」を演奏できる者が、必ずしも「楽譜」を必要としないのと同様な事であろう。
絵を描く者が「色彩理論」や「遠近法」や「明暗方」をしらなくても、描ける事と似ている。
サイエンスとは、あくまで、「説明」「記録」する為のそういった「後付け」でしか無いのである。
ガリレオやコペルニクス等も、当時としては、同様な扱いであり、時代が進めば、いずれ論証されるだろうと、僕は観ている。
こういった「形態場」「集合無意識」にも「落とし穴がある」と云う事を、
今回は強調したい!!!
僕は、仕事柄、色んなセミナーへ行く。ヒーリングのセミナーも多い。そういうものの中には、色んなヒーリング体系があるが、その多くは、一般的な社会組織のそれと多くと同じく「ピラミッド型社会」、若しくは「ピラミッド型の組織形態」をとっていて、当然ながら、皆さんが属している会社や学校も、果ては国家組織でさえも同じく「その頂点に居る者」に都合の良い様に出来ているものである!!
(これは、非常に当たり前の事であるが、皆さん、認めようとも、改善しようともせず、ただただ、従順に、従っているケースが非常に多いのは、周知の事実である!)
僕は、そういう「組織体系」の傘下に属する事は大嫌いなので、こういうヒーリング体系のセミナーやワーク・ショップに行っても、「その重要なエッセンス」だけを学んだら、とっとと組織体系自体は捨てさり、
おさらばしてしまう一匹狼である(笑)
まぁ、群れるのが大嫌いなのである。流行みたいなものを追うのも、大嫌いである。
僕の「BTTUセッション®」も、そういう経緯・背景から、研究・開発したものである。
僕は「BTTUセッション®」には、余計な「形態場」は入れ無い事を心がけています。
若しくは、なんらかの「形態場」を使う時でも、そこに参加しているセミナーの人間やクライアントさまの
余計な「感情領域」は迂回(バイパス)させています!! 若しくは、余計な「形態場」は、無視してプローチさせて頂いています(ここが、僕が他のセラピストと違うところであります)。
話を元に戻そう。
「形態場」と云うものは、良いところもあるが、実は、邪魔になると云う事を、発見したと云うか、いつも僕は感じていた。
「形態場」とはそこに集まる人々の「集合無意識(集団の無意識)」から出来ている様なものであり(これはユングの学説から、今のところ異論を挟む余地は無いだろう)、そこに、必ずと云っていいほど、
熱狂的な「感情領域」がどっかりと乗っかっているものだ。
然も、それをやっている人々が多ければ多い程、やっている年数が長ければ長い程、数多の、訳のわからない、膨大で多様な「感情領域」がドッサりと、溜まっているものである。
故に、セラピストやヒーラーは(果ては、八百屋から建築屋から医師まで)「お祓い」やら「浄化・浄霊」やら
「プロテクション(防御)」と云うプロセスを必要とする訳である!!!
このメカニズムは、とあるアイドル・グループやバンドのファンの集団、とある政治団体の支援集団、
とあるプロジェクトに係る集団、とある地域・風土に根ざした集団、等々、総ての集団に言える事でもある。
よって「集団ヒステリー」みたいなものを起こす事も多く、碌なものでは無いとも感じる。
本当に有能な集団は、いいところ、10人弱程度がMAXと、僕は考えている。
企業なども、デカくなればなるほど、目が行き届かなくなり、反発者も出現し、
まぁ、手段と目的が逆転するのがオチであろう。
ヒーリングのセミナーにしろ、自己啓発セミナーにしろ、ビジネス系セミナーにしろ、そこに集まって来る人々は「なんらかの問題」「好奇心」があって集まって来ている部分が多分にあるだろう。
なんの問題も悩みも無い人々がセミナーに何百人~何千人と来るとは、僕には、到底思え無い。
しかも大概のセミナーは、何十万円と高額なのは、通例である。
「好奇心」はいざ知らず、この「なんらかの問題」と云うものが、実は、無意識に働いている故に、
逆に、欠点になる事もある訳だ。
つまりは「集合無意識」には「自己憐憫や自己卑下」や「金儲け主義や拝金主義」等のジャンク(ゴミ)やエゴイズム等々が、山の様に、沢山混じっていると考えられ(感じる)るからだ。
それに巻き込まれない様な、強靭な輩も居るが、寺社仏閣へ行って「御祈願」をしたら、逆効果になる人も居るくらいで、それを「祟りだ!」と云って責任転嫁する者まででる始末である。
セミナーに行って、逆に「エネルギーと高額のセミナー代」を取られて終しまい!!と云う人も少なからず居るのも確かなのだ。
現に、そういう方が僕の友人・知人・クライアントさまの中にも、たまに居る事もある。
「好奇心」と云うものも「厄介なもの」で、「好奇心」だけで行動を起こすのも、考えものである。
「好奇心」と「心地よさ」は「別物ですよ!!!」と僕は、クライアントさまによく、お伝えする事がある。
「好奇心」とは簡単に言えば「ある種の刺激」である。
好い刺激もあれば、過激過ぎてその人にはちょっと、否、キツ過ぎる刺激もある訳だ。
貴方が、もし、キツ過ぎる刺激だと感じつつもそれを採用しているならば、それは貴方の感覚が麻痺しているか、もしかしたらマゾヒスティックな部分があるのかもしれないだろう(笑)。
とにかく、「形態場」とはそういうものから出来ているので、要注意なのである。
「形態場」で元気になる人もいれば、逆に具合が悪くなる人も居るのは確かな事実だからである。
要は「エネルギーの喰い合い」みたいなものであって
、僕は、ある程度、距離を置いて様子を観ながら接っしている。
「形態場」に関わっている人達の全てが、動機も状態も健全ならば、おそらく問題は無いだろう。
そもそも「形態場」が健全ならば、地球はとっくの昔に「平和」になっている筈である。
が、世の中を観れば、逆の様に観えるのは、僕だけだろうか?
でも、そこに関わっているスタッフが裏では人間関係的に問題があったり、あまりに厳しすぎて
「ブラック企業」宜しく、スタッフが辞めたりの出入りが激しいのは、そもそも問題が大いにあると観て間違い無いだろう。それを知った受け手側の人々(貴方かもしれない)は「!?!?!?」となっても仕方が無いし、僕もそういう場面に何度か出くわした事もある。僕の場合は、そういう組織とは、さっさとオサラバするのが賢明であると思っている(笑)
学校教育の現場でも現在、似たような現象が起こっている。現代の生徒・学生は登校拒否はおろか「不登校」する生徒も物凄い沢山いるらしいと、何人かの教師の友人やクライアントさまから実際、よく相談をされるし、現場の実態もよく耳にする。
とある母親達は「こどもの学校選びに、非常に苦労しているケースも多い」のも確かで、公立の学校には入れたく無いと云う事実も多く、そういう相談にも度々乗ることもあるのも確かである。
学校教師自体のクオリティーも、僕の子供の頃と比べると、皆「ブラック企業」宜しく働からされ過ぎで、
大半の教師が精神神経科や心療内科のお世話になっているという現状もよく聞き、僕は「あちゃ~、、、」といつも感じざるを得ない。
最終的には、それで、身も心もポロポロになって辞めてしまうのが通例の様だ。
中には、その感情が妙なケースとして出てしまい、自分の教え子に、自分の「信念体系」を無理やり押し付けたり、若しくは、無意識にマインド・コントロールしているケースも少なからずである。
これは、母親、父親、など家庭内でも起こっている。
そういった学校教師は、辞めなくとも、バランスを崩し、どこかに歪みが出ているケースが非常に多い。
学校だけで無く、企業でも、同じような現象が起こっているだろう。
厳しい倍率の「就活」を経てやっとこさ入った企業を、1年たらずであっと云う間に退職してしまう若者も多いと聞くし、実際、そういうクライアントさまもいた。
昨今、大企業の不祥事が増加しているのも、劣化しているのも、同様だろう。
学校や教師と全く、同じパターンである。
恒例行事、なども要注意である。学校の行事。会社の行事。地方共同体の行事。家族の行事。国民の行事。
冠婚葬祭、etc……。
嫌ならば、そんなものは、適当に付き合うか、無視して参加しないに限るのである。少なくとも、僕ならばそうするし、そうして来た。
1人くらい、学校の「ホームルーム」にいなくとも、「体育祭」や「文化祭」に居なくとも「会社のつまらない会議やレクリエーション活動」に居なくとも、なんの問題も無いだろう事は、体験的にも、僕は知っている(僕は、そうして生きて来た)。
とにかく「義務感」からやっている事は、総て、長続きしないだろう。
それは、自分に嘘をついて、周りに嫌々、合わせて生きているも同然だからである!!!
だったら、仕事でも趣味でも、お付合いでも、我慢なんかせずに、さっさと辞めて、自分が楽しい別の事に、さっさと移行すればいいだけの話である。
例えば、僕は、最近、セミナーとか、そういうものには、もう殆ど出なくなった。
理由は「大体、ここ4~5年で、色んなセミナーで習得した事の根底で言っている趣旨は、言葉使いこそ違うけれども、殆ど同じ事を言っているに過ぎず、やっているエッセンスはマスターしたからで、楽しく無いからで」もう飽きたからである(まぁ、必要と感じれば、行く可能性はありますが)。
大抵は、そのエッセンスの上に「別のツール」が乗っかっているだけである。
自分が楽しくワクワクしないものに参加しても、時間とお金の無駄である。
まぁ、最も、僕は、学校・会社みたいなものは、最低限、適当にやっておいて、流していたとい云う類の人間だったので、サービス残業やら、朝練習なんてものは、エネルギーの無駄だと思っていたクチだけれども(笑)
僕は、僅かな期間だが、サラリーマンをやっていたて頃は「締め切り」や「重要な打ち合わせ」以外は、
ワザワザ、会社に行く必要は何も感じないと、ずーっと、感じていた。
皆、何も考えずに惰性で、だらだらと仕事をやっているのが解ったから「サービス残業」なんかをやらされる羽目に陥るのである。
だったら、さっさと仕事を終えて、とっとと帰宅して、家族や友人と過ごし、英気を養って、気分転換をして、仕事や勉強を再開した方がよっぽと、能率が上がるというものだろう。
(僕は、上司が残業していても、帰っていたからね〜、笑)
古臭い風習や慣例は、最早、滅びつつあるものも多いだろう。
案の定、20年経ったら、今では「サービス残業」をやらせる企業は
「ブラック企業」となっているじゃない??? 今更、遅いよ!!! ねぇ〜?(笑)
僕は、ちょっと、人より速いんですよ。
何がって??
「アンテナ」ですよ。「アンテナ」(微笑)!!!
まっ、「形態場」は万能では無いので、気をつけましょうね(笑)
(最後迄、お読みになって下さり、ありがとうございます)
感謝!
アンディー・ウォーホルの様に、淡々と、世の中を観察してみれば、
我々が如何に、奴隷の様に扱われているかが、理解できるだろう。
我々は、ある種、奴隷制度の中に居る様なものだろう。
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