11も半ばとなり、大分、冬らしくなって来て寒いですね。
昼間は「太陽さん」が部屋の中に大分、入って来て日光浴なんぞをしとります。
今日は、もの凄い、情報量に、又、なっちゃったよ(35年分の私の人生が入っているし、流れだから、仕方が無いのよ、笑)
まぁ、ゆっくり、じっくりと、読んで楽しんで下さいね。
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いつも直感で動いてるとシンクロニシティーを感じる事が出来る!
【矢沢永吉の食わず嫌い対決】
11/7日(水)
何となく、夕食の時間になったので、仕事を終わらせ、階下へ行くと、
TVが付いている。
「とんねるずの食わず嫌い対決」をやっている。
然し、矢沢永吉である。
矢沢永吉がTVに出るのは珍しいと思いつつ、秋刀魚をつつきながら観る。
初めて知ったんだけれど、上京する理由がユニーク
「東京まで行くつもりが、列車の座席が固くて尻が痛くて降りたのが、横浜だった」
大物は、やる事、言う事が違うね。
いや、やはり、おもしろい! 矢沢永吉のあの喋り。立ち居振る舞い。イチイチ、面白い!
「存在感」がある。「存在感」が違う!
現代のCMの90%以上がが、かすんでしまう。
その後の番組の役者や芸能人もかすんでしまう。
それで、2階へ上がり、あの「E.YAZAWAのロゴ」を描いてみる。
「描けた!」中学校以来である。
授業なんて、くそツマラナイものなんぞ聞かないで、教科書にラクガキした賜物だろう(笑)
【立花ハジメさんのLIVEへ行く!】
翌日の11/8日(金)は、何故か、朝早く、目が覚めてしまい、眠気眼で、直感的に、
FBの立花ハジメさんに、
今日、当日のLIVEがあるか、おもむろにメッセージを入れる。
そのLIVEに出演する多摩美時代の友人の山川冬樹くんにも、メーセージをいれておく。
アルバイト時代に一緒だった小山田君も出演との事で、直感的に行く事にする。
(そんなのばっかりだ、笑)
メッセージの返信は「取りあえず、立ち見にになるかもしれませんが、来てみて下さい」とのこと。
この夏の酷暑で、7月以来、切って無かった髪を切りに4ケ月振りに美容院を訪れる。
美容院の隣は、いきなり、金魚屋が開店していた(以前は、スナックだった記憶)。
それで、お店に入り、色々と、油を売って、金魚の買い方や特性並びに、金魚の歴史迄、教えて貰う(どんな、客だ)。
帰りに、スーパーで無く、農家のおばあちゃんが手作りで、路地売りしている「八百屋」で
「ハヤトウリ」なるものを発見。色々と、話す。
何人かの主婦を観察していると、どうやら、ここの野菜は、安くて、美味しいらしい。
「ハヤトウリ」と「カボチャ」を買う。200円也! (スーパーには、真似は出来まい!)
それで、一回帰宅。
夜のライブ迄、時間が在るが、部屋の片付けをしたり、ライブ会場を調べたりする。
大船へ向かう為、バスに乗るが、財布を忘れた事に気づき(汗)、次のバス停で降りて、
家迄、財布を取りに歩いて戻り、
又、次のバスで大船駅へ。
やっとこさ、渋谷へ向かう(汗)。
渋谷へ到着したところが、どうやら調べ間違えたらしく、渋谷区の國學院の裏の会場へと向かうも、真っ暗な地下1階への階段を降りて行く「う~ん、秘密ライブかなぁ~!?」(笑)と呼び鈴を押すと、鉄扉が開き、そこの人に訊くと「あぁ、一週間前にそのLIVEは終わっていますね」と云われ、
色々と、調べてもらうと、どうやら、今日の会場は、表参道と云うか裏原宿!
それで、住所と、会場名を紙に書いてもらう始末!
「ありゃ、しまった、うっかり過ぎる(笑)、まぁ、ここからTAXIなら1mで行くだろう!」と、
TAXIを捕まえて、原宿へ向かう。
原宿なんて来たのは、もの凄い久し振りで、数年振り。
然も、裏原宿(隠田商店街)なんて、10年振りくらい(お上りさんの様だ、笑)
それで、数件のブティックや本屋さんや時計屋さん、コンビになどの店員さんに聞けども、さっぱり場所が解らないと云う。
中々、会場が見つからない(皆、本当に、原宿、知ってんのかぁ~???)と、心の中で、思いっきり、突っ込みを入れつつ、やっと会場に到着(な~んだ、元DEPTがあったところじゃんか、笑)。
やっとの事で、到着!!お金を払って、ドリンク券を貰い、取りあえずビール片手に観る。
ライブは既に始まっていて、1/3は、終わっている模様。
キャパシティーは、約200ってところでしょうか。
丁度、何の曲か解らないが、山川冬樹君のホーメイと、小山田圭吾くんのギターをフューチャーリングした曲をやっていた。
山川冬樹君のホーメイは、久し振りに聴く。何か、低音の倍音が太くなっていて、なんか凄い!
小山田くんのギターは、YMO関連のコンサートで、ちょくちょく聴いていたが、こんな近くで、
聴くのは、久し振り!
それで、次に、お目当ての「H」と云うアルバムの「H」と云うタイトル曲の演奏が始まった。
僕の腰も、自ずと、動き出す(笑)
立花ハジメさんの「H」のレコードを勝ったのは1982年の高校1年で、当時、よく聴いていた。
YMOの細野さんと幸宏さんが創った当時のインディーレーベルの「YEN」の初期のアルバム。
鈴木さえこのドラムと細野さんのベースのグルーブがたまらなかった記憶。
坂本龍一、あと誰だったか、とにかく、豪華メンバーだった記憶。
ここで、
小山田くんは、一旦抜けて、僕の隣を通ってどっかに消えて行く。
バッファロー・ドーター、と高木 完のEMSのシンセをバックに、立花ハジメさんの新曲なんぞを数曲やる。
中々、好い!
最後は、何か、オーディエンスとのコーラスも入っての曲!
アンコールは、もの凄い、ギリギリの時間で「バンビ」を演奏!
オーディエンスのノリがイマイチなのを、感じてか「はい、皆、もっと、寄って寄って!」と
立花さん自ら、ノリを作る(YMO関係のお客のノリの悪さには、定評があると感じるのは、僕だけだろうか!?)。
もう、もの凄い近くで演奏している。
僕の目の前は、バッファロードーターのギターのシュガー吉永がもの凄い至近距離!(僕の目の前!)
その隣は、小山田くん! 反対隣は山川くん!
ステージ(ひな壇)さえ無いので、何だか、向き合っている感じ!
僕は、ガンガンに踊っていました(笑)
LIVEが終わったら、座談会やサイン会と云う感じと、云う情報でしたが、
何だか、だべったり、サイン会になってましたね。
山川冬樹くんに「久し振り!」と声をかけて、しばし歓談!
(山川くんとは、多摩美で同窓生です)
多分、2001~2002頃に会って以来だから、まあ、10年振りくらいでしょうか。
「千葉さん、学生の頃より、若くなってない?」と云われる。
「そう?」と僕。
(まぁ、自己リコネクティブ・ヒーリングでDNAをしょっちゅう書き換えているからね、微笑)
更に、小山田くんに「久し振り!」と声をかける。
最初は「誰!?」と云う顔をしていたが、思い出した様子で、
「やあやあ、久し振りだね!」となり、山川くんと小山田くんを互いに紹介する。
(小山田くんとは、大昔、アルバイトで一緒でした)
そんで、僕は
「写真撮ろう、写真! 友達だから、記念に!」と2人に云い、と或るファンの方に撮って頂く。
「小山田くんに、じゃあ、千葉くんは、真ん中で!」と云われ、パシャりと、記念撮影!
そのファンの方は「カメラトーク」にサインして貰っていました。
「僕も何か、持ってくりゃあ~、よかったなぁ~」とブツブツ云いつつも、
「あっ! じゃあ~、手帳に寄せ書き!お願いね」と、リュックから、おもむろに手帳を取り出し、
小山田くんに渡すと、
僕の4色ボールペンで「ちばくんへ」とサインして頂く!
山川くんにも、4色ボールペンで「千葉サン」とサインして頂く!
立花ハジメさんは、流石に、サインの列が込んでいたので、
山川くんとホーメーの話や、彼の馬頭琴(!?)的なる楽器の話や、多摩美時代の別の友人と、
色々と、談笑する。
やっと、立花ハジメさんのサインが終わったのを見計らって、
「ライブよかったですよ! すいませんが、寄せ書きお願いします」と頼むと、
サラサラっと、マジックで、サインして下さいました。
それで、「信用ベータ」や「DEPT展」や「幸宏さんのステージでかつて踊っていた事」なんぞを
ちょいと、会話する。
それで、色々と、皆さんの機材のチェックをして、外へ降りて行くと、小山田くんがベンチに座っていたので、2人で、大昔の話なんぞをする。
それで、小山田くん山川くんの2人に挨拶して、会場を後にする。
お腹が好いたので、明治通りを、
渋谷迄、歩き、1人で、どっかのダイニング・バーで、サンドウイッチとビールで、夕食を取る。
ヒカリエから、東横線に乗り横浜経由で、港南台迄、帰宅する。
★立花ハジメ「monaco」発売記念トーク&ライブイベントが、東京、京都にて開催決定
http://www.excite.co.jp/News/music/20131101/Musicman_artist30351.html
【80年代の逆襲~宮沢章夫の戦後ニッポンカルチャー論】
翌日、11/9日(土)PCを弄っていると、mixiでの旧いマイミクさんの呟きで、
「これから、細野さんが重大な発表をするみたいです」と、ちょっと大袈裟な書き込み(笑)を見つけると、
NHKのEテレで、0:00~でやると云うことと知る。
「あぁ、もうすぐじゃん! 後、30分で始まる」と思って、TVを付ける。
時間通りに始まる。
「あれっ、昨日の会場じゃん!」とシンクロニシティーを感じる。
まぁ、内容的には、自分の青春時代的な内容なので「お浚い」と云った感じですが、
今の若い人達には、知らない情報だらけなのと、2020年オリムピックや、AKB48等、あまちゃん、等「マス・カルチャー全盛」の現代に、
1980年代は、「サブ・カルチャー」が「マス・カルチャー」と、
「交錯」していた、へんてこりんな時代で、異例の時代と云う事が、僕の体験としても、番組の内容としても云えるとは思います。
僕は「秋葉系オタク・カルチャー」では無いんですが、友人に沢山居たので、情報としては、知っています(笑)
一般的には、1990年代のある時迄は、「サブ・カルチャー」は「エヴァンゲリオン」等によって「秋葉系オタク・カルチャー」として、殆どが、収斂された訳でしたが、他の「テクノポップ」や「ヤンキーカルチャー」も包含していた訳である。然し、「テクノポップ」や「ヤンキーカルチャー」は、1980年代的なものから、1990年代的なものへは、すんなりとは移行していない、と云う感がある。
「テクノポップ」は1980年前後の「ニュー・ウェーブ」と呼ばれる世界的な音楽的なムーブメントと連動していて、日本に於いてはファッションやアート、マンガ、アカデミズム、ゲーム等、文化面に於いて、非常に、重要な位置を占めていたのも、事実であり、その中心には、絶えずYMO的なるものが存在していた。
この「ニュー・ウェーブ」的なるものは、90年代初頭には、
小山田圭吾の居たフリッパーズ・ギター等の台頭により、1980年代中頃から台頭して来る「ブルー・ハーツ」や「BOOWIE」「尾崎 豊」等を中心とした「バンド・ブーム」なるもの達を一掃し「渋谷系音楽」なるものとして、別な形に消化・昇華し「テクノポップ」的なるものから続くものの、ブリッジ役を果たしていたと、僕は当時、目撃している。恐らく、ミスチル(初期のミスチルの桜井君は、フリッパーズ・ギターのファンだった記憶)等の「J-POP」と呼ばれる音楽等も、このプロセスが無ければ、違うパラレル・ワールドに行っていたと、思われるのは、非常に感慨深い。
又、立花ハジメさんは1990年代には「ADC最高賞」を取り、初の「立花ハジメ個展」「信用ベータ」(デザインのプロ向けのソフト・ウェアーで、今でも使わ無いデザイナーは居ないと云う、Adobe Illustratorの為のプラグインソフト)を開発し「アプリケーション・ツアー」「立花ハジメとDEPT展」「THE レコード・ハンター」等で、やはり、ブリッジ役を果たしていたと感じています。
(因に、僕は、全部、目撃しています!!!)
【キーワード】サンディー、スーザン、シーナ&ロケット等のYMOファミリー、プラスチックス・ヒカシュー・Pモデル等のテクノ御三家、糸井重里さんの広告等やセゾン・グルーブの文化事業メセナ、高木 完とタイニー・パンクスや藤原ヒロシ等による裏原宿文化、シティーボーイズ・竹中直人・いとうせいこう・スネークマンショー・ラジカルガジビリンバシステム・スーパーエキセントリックシアター等の80年代的お笑い文化、ピテカントロプスエレクトス・インクスティック芝浦ファクトリー・ツバキハウス・ナイロン100%・レッド・シューズ・キング&クイーン等のクラブ文化の元型、宝島・ビックリハウス・スタジオヴォイス・ガロ・スーパーアート「GOCOO(悟空)」・夜想、等の雑誌文化、アーティスト達の梁山泊であった「原宿セントラルアパート」、代官山アパートや原宿同潤会アパート等の今の代官山とは違う雑貨店文化、
等が、
90年代以降の様に、メジャーシーンと乖離しているのでは無く、「サブ・カルチャー」として、等価に共存していた珍しい時代だったと言えよう。故に、非常にバラエティーに富んでいて、色んなものが混在しており、系統を分けたら、上の図では済まされないくらいの芳醇さを持っていた。(現代の日本の全体主義的な傾向とは、ある意味正反対であり、こういう面白さは、現代の日本には、あまり、感じられないところが寂しい)
【BE THE VOICE ライブ@藤沢サウンドマーケット】
その翌々日の翌日の11/10日(日)には、何も決めていなかったのだが、夕方近くに、
「おーし、俊治と純ちゃんのLIVEに行くかぁ~」と、
これ又、直感的行動に出る。
7月の夏の「海ライブ」以来である。
まぁ、バスと電車で40分位で、藤沢に到着!
鈴木俊治くんに「今、着いたよ」と電話を入れる。
「う~む、こんな所に、ライブ・ハウスがあったのかぁ、かつて1985年に通っていたYMCA予備校の真裏じゃん」と思いつつ、会場に到着。
小さいお店だけれど、アット・ホームなとても、いいLIVEでした。
(最近は、小さいハコの方が距離感が好久手、好きです!)
第2部では、和田純子は忌野清志郎さんのタイマーズ時代の「ラブ・ミー・テンダー」なんかのカヴァーも、歌い、
現代の日本社会を風刺する部分も出て来ており、社会派な感じのライブで、盛り上がりました。
彼らは、九州に引っ越して3年くらい経つのでしょうか、たまに訪れる、東京(彼らは、東京人です)に対する観え方も、昨今の世の中の変化に敏感になっている様子で、感慨深いものが在りました。
【まとめに】
矢沢永吉さん~立花ハジメさんや小山田圭吾くんや山川冬樹くん~BE THE VOICEと云う流れの中には、実は、YMOと云う存在が、あったのを、この文章を書いていて、まとめとして、やはり、書かねばならないと感じました。
●矢沢永吉→1970年代中頃~後半にかけて、高橋幸宏さん、坂本龍一さん、がバックアレンジ・演奏していたりします。
●立花ハジメさん→デザインの師匠の奥村靫正 氏はYMOのアート・ディレクションを手がけている。高橋幸宏さんのアルバムやステージには、割と初期から、参加しています。
矢野顕子さんのステージでの演奏やステージ・デザインもやられています。
●小山田圭吾くん→YMOのバックや彼らのユニットの多くで、ギターで参加しています。
●山川冬樹くん→YMOでは無いけれど、「テクノ御三家」の匕カシューの巻上公一さんと、ホーメイ演奏で、色々と、やっています。匕カシューの元メンバーで作られた「イノヤマランド」は細野さんのプロデュースでしたしね。
●BE THE VOICE→高橋幸宏さんのコンシピオ・レーベルより高橋幸宏のグラウンド・プロデュースでデビューし、高橋幸宏さんのライやレコーディングにも参加しています。
いゃ~、一週間足らずで、えらく濃い、繋がりと云うか、流れが、出来ましたな(笑)
以下、僕の、生意気な、十代~二十代グラフティーをどうぞ!!!
1978年(小学校6年生)の資生堂のCMタイフップ曲。アレンジが好いんで、気になって調べたら、アレンジとバッキング演奏はYMOで売れる前の坂本龍一&高橋幸宏。
僕のカラオケの18番でもある(笑)。
うーん、中学生1年~3年の頃にヘヴイー・ローテーション
で聴いてたなぁ!YMOと並んで、ワールド・ツアーやったんだよね。東京が未だカッコイイー時代だったね!
TALKING HEADSやB'52とステージやったりして、NEW WAVEって感じでしたね。
う~ん、久し振りに聞いたなぁ。高橋幸宏プロデュースの1枚目。ジャケットのタイポグラフィーの原画も四谷へ観に行ったね。
これも、久し振りに聴いたなぁ。新鮮!!!(1991年、テイ・トウワとの共同プロデュース作品)
う~ん、何気に持ってるなぁ~(笑)これ爆笑したなぁ。立花ハジメ、竹中直人、安斎 肇、桐島かれん、等、出演の映像作品。面白いよ! 加藤賢崇くんは、渋谷CSVの2Fの楽器コーナーでEXPOの山口 優と、当時東京タワーズとして、デモテープを聴き合う会に、司会でよく来ていたな(1987頃の旧い話だけれど、笑)
これは、「スーパー・ニッカ」のCM曲。1983年だったかな。立花ハジメもSax吹いて、踊っています。
こうやって、マスとサブが交錯していたのよ!(ちゃんと、DVDで持ってますよ!)
西武やセゾンのCMでも、矢野顕子さん(YMOの人達がバック演奏)
これは、坂本龍一さんと、スーザン(高橋幸宏:プロデュース&立花ハジメ:ジャケットデザイン)のCM曲。83年頃かなぁ~。僕、これ大好きなんですよ。何か、好い次時代だ。
こうやって、マスとサブが交錯していたのよ!
もう、10年以上前なんだけれど、古臭く無いね。Fantazmaの次から、
Cornerius(小山田圭吾)は、又、一歩、変わったね。カッコイイ!
山川冬樹くん、アバンギャルドな所は、昔から変わっていないね。
カッコイイ!
2012年12月21日の還暦LIVE。1曲目のオープニング、BE THE VOICEの和田純子が高橋幸宏さんとデュエットしてます。小山田くんもギターで参加してます。
珍しいの見つけた! 1998年ころかな。BE THE VOICE(和田純子+鈴木俊治)高橋幸宏さんとのCM共演!
★立花ハジメ(公式サイト)
http://trafic.jp/ja/index.html
★Cornerius(公式サイト)
http://www.cornelius-sound.com/index.html
★山川冬樹(公式サイト)
★BE THE VOICE(公式サイト)
【更に続く】
色々と、片付けしていたら、出て来る出て来る、懐かしいお宝が(笑)
主に、立花ハジメさんの90年代の個展とか、「DEPT展」「信用ベータ」関係ですね。
矢野顕子さんのグラノーラ・ツアーのパンフ(デザインby立花ハジメ)、サウンドールの別冊「Syhthe Club」(1983)、
本質的な、好い事言ってます! 「ポップ・アップ」=インスピレーションの事ですね。
(最後迄、お読みになって下さり、ありがとうございます)
感謝!
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sextel (火曜日, 31 10月 2017 21:52)
branżowcze
wróżka (土曜日, 18 11月 2017 01:20)
Wylezinek