いよいよ、秋冬の到来ですね。
巷では、アメリカの軍事・経済の凋落っぶりが日本国内でも報じられてますね。
今月は、色々な変化が起こると思われます。
=================================
【意識に対しての変遷】
●まぁ、僕は、こういう仕事で、色々と、お客様の「意識」を扱っている分けですが、
「意識」と云う専門用語に対して、暫し、質問を受ける事も多いので、今回は「意識」について説明致します。
●「意識」と云っても、哲学・心理学・医学・スポーツ・音楽と、多様なジャンルに渡って、
用いられる言葉であり、あまりに「あたりまえ」若しくは「漠然としていてつかみこどころが無い」
概念として、ちょっと解りにくい面がありますよね。
●一般的には「ある物事について要求される場合に注意を払っている」とか「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合に「意識が高い(または低い)」といった言い方もされる。
又「プロ意識」「意識調査」「意識改革」「コスト意識」など様々な表現で用いられる。
故に「意識」という言葉は実に様々な意味で使われており「意識」という言葉の多様性は、
議論や研究の中でしばしば混乱を引き起こしやすいものとなっていますね。
●ここでは、上記の様な「広義の意味での意識」については触れません。
●「意識」と云う捉えどころの無いものに付いての、心理学的・形而上的な側面からの
「意識」について説明する事にします。
●ライプニッツ、デカルト、カント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリング、フロイト、ユング、等の、
哲学者・心理学者等によって、17世紀以降に研究され、最終的には「近代的な意味での意識」の
定義を学術的な面と、形而上学的な意味で「統合」したのは、C.G.ユングであろう。
●東洋では古来より、AD4世紀頃現れた仏教の「唯識思想」「唯識三十頌」では、「前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)」と言う意識のほかに「無意識」とも解釈できる末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という二つの「深層意識層」が想定された(八識説)。
●ユングの業績で、画期的だった事は「顕在意識: Consciousness」と「無意識 : 潜在意識: Subconsciousness」を明確に分けた点であろう。
一般的に云えば「無意識 : 潜在意識」とは「意識が無い状態」であるが、
「心のなかの意識でない或る領域」を意味する!
そして、「無意識 : 潜在意識 : Subconsciousness」にも「階層」があり、
「無意識 : 潜在意識 : Subconsciousness」の一番底辺の深い所には
「人類共通の集合無意識」がある事を発見した事であろう。
ユング自体、旧ソ連の宇宙飛行士である「ユーリー・ガガリーン」が世界初の宇宙旅行で「地球は青かった!」
と云う、以前に「体外離脱」して、地球を宇宙空間から、克明に記録しており、それはガガリーンの観た地球と酷似していた。
●深層心理学の代表とも言えるフロイトの提唱した精神分析学では、無意識に抑圧の構造を仮定し、
このような構造において、神経症が発症するとして、その治療法を展開した。
●分析心理学を提唱したユングは、「自我である私が、なにゆえ私であるのか」を問うた。「私である意味」は、
「魂の完全性の実現」にあると考えた。「無意識」は、自我を「自己」すなわち「神」へと高めて行く構造を持つと仮定したわけだ。
ユングの理論は反証可能性を持たず、現代的な範疇での科学としては、成り立たない面は否めない。
分析心理学は「神話の意味」「死と生の意味」などを思想的に解明するのに有効であった。
ユング自身は、科学理論的に、慎重に理論を構成したが、それは表層構造において、容易に宗教・オカルトに転用可能な理論であった。
●更に、エドガー・ケーシーによって「超意識 : Superconsciousness」と云う、概念まで出現した。
現代流行っているハワイの独特の叡智である「ホ・オポノポノ」にも
「超意識 : Superconsciousness」と云う、概念は言葉こそ違えど、同義的に「採用」されている。
●所謂「チャネリング」ではなく「インスピレーション」「直感」「閃き」と云うものは
「超意識 :Superconsciousness」が「宇宙」と直結した状態であろう。
●人間は様々なものを「意識」するが、目前や「いまここの感覚的」「意味的刺激のパターン」以外で意識するものは「広義の記憶」である。
「意識」は記憶と結びついているものではあるが、それだけでは無く、人間には「経験や学習」によって得た記憶・知識以外に、生得的・先天的に備えていたとしか言い得ない「知識:叡智」や「構造」が存在する。その一つの例は「人間の言語」であり、人間の言語は、人間しか完全には駆使できない。
言語哲学者のノーム・チョムスキーのアイデアである「チョムスキーの生成文法」は、人間の大脳に「先天的に言語を構成する能力・構造」が備わっていることを主張している。
それは「意識でない領域」つまり「無意識」から湧出するのだと唱えた。「チョムスキーの普遍文法」の「構造」とは「無意識の領域」に存在する「整序構造」であり言語の自然な生成は「意識の外で」すなわち「意識の深層」「無意識の領域」で、言葉と意味をめぐる「整序」が行われているということを意味している。
●元アポロ14号の宇宙飛行士であったエドガー・ミッチェルは、
無重力の状態で、宇宙から「地球」を観て「変成意識」を体感し、
その後「人間の意識の在り方」や「スピリチュアリティー」と云う方面に、関心が移行して行く。
「変成意識状態とは」催眠状態での「意識状態」や、シャーマニズムや宗教的な儀式等の「薬物摂取で生じる」もの「サブリミナル効果」などで引き起こされるものも含め「通常の意識でない状態」の事を指す。
そうした「変成意識」は実は、何も宇宙へ行かなくとも、軽いものであれば
非日常的な「飲酒」や「小旅行」等でも、十分に引き起こされる。
●「意識」という言葉自体が「覚醒意識がある」「何かに気づいている」という通常の意味以外に、主体が意識している「対象の総体」が存在している「領域」の意味を持っている。
何かを「意識している」何かに「気づく」とは、対象が「意識の領域に入って来ること」「意識に昇って来ること」を意味するとも言える。
人間は一生のなかで、膨大な量の記憶を大脳に刻む。そのなかで、再度、記憶として意識に再生されるものもあるが、大部分の記憶は再生されないで「大脳の記憶の貯蔵機構:ハード・ディスク」の中で維持されている。
このような膨大な記憶は、個々にばらばらに存在しているのではなく「連想」が記憶の想起を促進することから、感覚的あるいは意味的・感情的に「連関構造」や「グループ構造」を持っていて、このような構造のなかで記憶に刻まれている限りは、どんな記憶であっても「再生・想起」される可能性は完全なゼロではない。
人の一生の中で、再度「想起」される可能性がゼロではないにしても、事実上一生涯において二度と「意識の領域」に昇って来ない膨大な量の記憶が存在する。主観的に眺める場合、一生涯で二度と「想起されないこのような記憶」は「意識外の領域」に存在すると表現するのが妥当であろう。
「意識外」と言っても、科学的には「大脳の神経細胞ネットワーク」のどこかに刻まれているのであり「意識外」とは現象的に「意識でない領域に、膨大な記憶が存在する」という意味である。このような「意識でない領域」が「無意識のもう1つの側面」であろう。
【情報は外にある】
●上記に述べたのは、比較的一般的な「意識」のあり方をまとめたものだ。
ここからが本題である!
●僕は「リモート・ビューイング: 遠隔透視」をたまにやるが、これは、
自分が知らない「情報」にアクセスする1つの方法論であり、米ソ冷戦時代に研究され1995年まで、スパイ技術の一環として、アメリカでは、国家的軍隊・CIA等、のトップ・シークレットであったテクノロジーである。
やり方は幾つかあるが、肝心なのは「連想」「ノイズ」「自分で勝手に作ったストーリー」
を絶対入れ無い様に、極短いスピード(約3秒以内)で、読み取った「情報」を「記録」していくものである。
●「リモート・ビューイング」をやって感じるのは、所謂「チャネリング」とは違い、
コンシャス(意識のある状態)でやるものであり「素直な気持ち」「ニュートラルな状態」であれば、誰でも、
習得可能なテクノロジーであり「意識を明晰にする」効果がある。
●「アストラル・プロジェクション」と云うものもある。
まぁ「体外離脱」「幽体離脱」とも云われるものである。
「意識」が肉体を離れ「外在化」するものである。
これにより「情報」を取って来ると云う方法である。
夜中に寝ている場合も、かなりの確率で「アストラル・プロジェクション」をしている確率は高い
と感じ、その可能性も高いと思われる。故に、夢から「情報」を「意識的に」得る事も可能である。
●「リモート・ビューイング」も「アストラル・プロジェクション」も「睡眠中の夢」も
ある意味、「外から情報を得る」と云う意味では、手法は違えど同じ様なものである。
「意識的にも」「無意識的にも」、「情報」を「意識活動」で、得ると云う意味では、似ている。
「アカシック・リーディング」と云うものも、方法論は違えど、恐らく似た様なものであろう。
好きな方法で「外部」から「情報」を取ってくれば好い。
●「超意識 : Superconsciousness」と云う、「意識状態」が大いに発揮されている状態で無いと、
「情報」にアクセスするのは難しいかも知れない。
特に「左脳的な動きをだます」、「左脳をだまらせる」と云う方法を取る故、
頭でっかちな大人より、素直な子供の方が上手い場合が多い!
或る程度の、最適な環境・コンディションも必要であろう。
冒頭に書いた「意識」の捉え方とは、ある種違う捉え方である。
「一般的な意識」の定義は「脳や記憶」と云った事と、密接で、切り離せ無いが、
これらの方法は「外的」なところから「意識」を使って「情報を取って来るもの」である。
「脳」を全く無視している訳では無いが、「脳」はそれほど重要視していない。
何故なら「脳」は単なる「レシーバー:受信機」であり「短期記憶装置:メモリー」でしか無いからである。
脳科学者達は、ここで見解が別れるところであろう。彼らは「唯脳論者」であるからだ。
チョムスキーの唱えた理論も、「脳は単なるレシーバー:受信機且つ短期記憶装置:メモリー」と云う事で、この「意識の外在化」と云う事は説明がつくのではないだろうか?
●日本人が中学・高校と、英語の勉強を6年間も「力技」でやったところで、
殆ど誰も英語が話せない!と云う事実は、脳(左脳)の短期記憶装置しか使っていないからである。
受験勉強が終わって、大学を卒業して社会人になる頃には、殆ど、英語は忘れてしまっているのは、そういうメカニズムで説明可能だろう。
(まぁ、英語の話しは又の機会に、笑)
●僕のポリシーとして、「最小限の力で、最大限の効果を得る!」と云うのがある。
又、「痛み無くして得るもの無し!」「NO PAIN! NO GAIN!」と云うポリシーは、ウソだと思っているので、僕自身は、採用していない(笑)
僕は、学校時代「所謂劣等生」だったし、幼少の頃から、相当に変わっていたと周りに云われたので、「学校の教育」と云うものは、殆ど無視して来た。遅刻はする。宿題?「何それ?」と云う感じであった(笑)
理由は簡単!「ツマラナイ」「退屈」だったからである。
その割には「役に立たない事が多過ぎる」とも思う(笑)
まぁ、そういう意味では「意識」の用い方を、上手く使って、効率よく、
物事をやる事をお勧めしたい。
「意識」の使い方なんて、「当局」は知らないだろうし、知っていても絶対「教えない」だろう(笑)
「人民を支配する為には、余計な事は考えず、活かさず殺さず、支配するのが」
支配者の論理・理論・倫理観であるからである(笑)
●「意識レベル」と云うものもある。
これは、キネシオロジー(身体筋肉運動学テスト)反応を用いたもので、サプリメントの様な無機物から人間性、等々、種々の対象に実際に行った測定の結果が記されている。
『パワーか、フォースか/デビッド・R・ホーキンズ著』と云う本に、詳細は書いてあるので、
読まれるといい。
キリストやフッダの「意識レベルが1000」だとすると、
普通の人で200~300レベル、アインシュタインでも400レベル、日本の国会議員の「意識レベル」は200以下、と云う記憶だ。
「意識のデータベース」という概念はまさにアカシック・レコードの様である。
【集合的無意識:集合無意識】
●ユングが発見し、定義したものに「集合的無意識: 集合無意識: Collective Unconsciousness」と云うものがある。
然し、これには「階層」が存在する。
「個人的無意識」→「家族・血族的集合無意識」→「民族・風土的集合無意識」→「国家的集合無意識」
→「人種部族的集合無意識」→「人類共通の集合無意識」と云った具合に「階層」がある訳だ。
●その他、
「都市の集合無意識」「ネズミの集合無意識」「と或るバンドのファンの集合無意識」
「貧乏人の集合無意識」「東北人の集合無意識」「病気の集合無意識」等々、挙げればキリが無いほど出で来る。
●で、この「集合無意識」と云うものが、非常に厄介なもので、殆どの人間は、好き嫌いに関わらず、
なんらかの「集合無意識」に支配されているからである。
例えば、会社人間なら「○○会社の集合無意識」に必ず支配されている。
少なくとも「家族的集合無意識」「国家的集合無意識」に帰属している人間が殆どだろう。
(まぁ、僕は、異常に帰属意識が弱く、あまり集合無意識には支配されてはいないつもりではあるが、それでも、無意識の領域なので、知らず知らずの内に、巻き込まれてはいるだろう、笑)
●まぁ、この「集合無意識を意図的に外す」「集合無意識を、意図的に書き換える」のが
「BTTUセッション」の特徴の1つではある!!!
ただ、「人類の共通の集合無意識」を変える程の「大きい集合無意識」を書き換えるのは、他のどんな、セッション
や宗教でも、恐らく難しいだろう。
「ユダヤ神秘主義」「キリスト神秘主義」「イスラム神秘主義」等の、宗教化する以前の「原始的な状態」では、
モーゼやキリストやムハンマド等は、恐らく「かなり大きな集合無意識を意図的に外し、書き換える」事が出来たのかもしれないとは想像に難く無い。
でなきゃ、ここまで、宗教が何千年も続かないでしょ?
●ユングの発見した「人類共通の集合無意識」とは「地球的意識」だと僕は、個人的に感じたし、
個人的にそう感じている。
これは15年前くらいに、意味は無いのだが、その「地球的意識」的なるものに触れると、
意味も無く「共鳴泣き」と云う現象がたまに起こった記憶だからだ。
(ちなみに、僕は、失恋とか大抵の日常的な事では滅多に泣く様な人間では無い! 泣くより怒るね、頭に来ると云うか、笑)
あれが、最初の「地球的意識の芽生え」だったと感じている。
簡単に云うと「地球の周波数」「シューマン共振波数」に共鳴した結果、
「地球にダメージを与えるイメージやニュース」に出会うと、意味が解らないのだが、
「ムラムラ」「メラメラ」として、居ても立っても居られない「感覚」に、よく湧いた事があった。
ユングの云う「人類共通の集合無意識」に触れた感覚であるかもしれない。
「社会科され近代化され過ぎた生活」に慣れきってしまった我々に、
元々の地球との共存は、実際問題、複雑になり過ぎて難しいが、
本当に、奇麗な沖縄や宮崎の海に触れた時に、感じた「絶対的な幸福感」と、六本木ヒルズに住む類いの
「一時的な幸福感」とでは比べ物にならないと云うことは本能的に理解している。
まぁ、最近は、そういう感覚も弱くなって来ていて、不思議なものなのだが、3.11もそうだが、
2011年辺りから「そんな感覚は当たり前」で、
自分の「意識レベル」が上がったのか、そう簡単な事では、びっくりしなくなった自分がいるのが
ちょいと寂しい(笑)
もしかしたら「アセンション」したのかもしれない(笑)
然し、「人間」と云う非常にアグレッシィブな存在が一番恐ろしいのは、
今も、昔から、変わらないかな(笑)。
「性悪説」では無いが「性善説」でも無い!
人間とは、「環境」でどうにでも「変貌」する「きまぐれな存在」である事は、嫌と云う程観て来ているので、
「人間不信」な部分はあるね(笑)
(そこは、宇宙人っぽいかもね、笑)
「一元性」の世界に行く前の「この二元性のマトリックスの世界」は、
いよいよ「意識のベクトル」が真逆に行く人々が大きく二分され、より激しくなっていると
感じる今日この頃である。
僕は「グランジ・ロック」にはのめり込まなかったけれど、これは
やはり名曲! カート・コバーン(故人)の無意識が、音楽に昇華されたのだろうな。
ウィリアム・バロウズ(ビート・ジェネレーションの代表作家)。
このオッサンも、無意識の領域を探求していたのかもね。
「ドラッグやらんで、なんの人生か!」
然し、バロウズの声は味があるねぇ〜。
(最後迄、お読みになって下さり、ありがとうございます)
感謝!
コメントをお書きください