エーット、前の日記の続き、第3弾ですね。
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●YouTube、ニコニコ動画、等の映像メディアが、やはり、今は旬。
USTREAM、STICKAM、等のブロードキャスティング・システムも旬。
まぁ、YouTubeは観るのは、もの凄い観ているでしょ、皆さん?
まぁ、出て来た時には、画期的でしたよね。
検索すれば「映画」「音楽」「その他いろいろ」と世界中の情報が、観れますから。
まぁ、中身は、ピン~桐まで、ありますけれどね。
●これで、CD・レコード、DVD等の売り上げが落ちたのは、一要因としては、大きいだろうな。
消されても、消されても、根強く、復活する映像達!
まるで、海賊版の様だ。
そりゃ、縛る法律もへったくれも無いものね。
ただ、ここ5年位、CDを売る為にコンサートをしている訳では無く、
コンサートを観に行く現象が、増えている。
20世紀は、CDやレコードを売る為に、コンサートをやっていた時代がメインだった。
でも、よくよく考えてみると、20世紀だけなんですよ。
CD・レコードを売る為に、コンサートをやる時代って。
本来は、生演奏を観にいっていた時代の方が、圧倒的に長い。
皆さん「音を空気に響かせている現場のダイナミズム」を欲しがっているんでしょうね。
「マルチ・トラック」って、確かに、非常にインドアだし、マニュエル的だし、個人的だよね。
●映像発信メディアには「映像ブロガー」も沢山居る。
テキスト・ベースより観る側の「参与性」が、やや低い(マーシャル・マクルーハン的に云うと、COOLなメディアだ)しね。
●YouTubeをGoogleが買収してから、インターフェス的には、やや、使いにくくなって来ているのは否めない。バージョン・アップする度に、インターフェスが変わるのは、ちょっと緩めて欲しいところではある。画質の向上や機能の増加は、もう十分なので、適当なところで、止めて欲しいもかな。
TVのCMとは裏腹に、繋がりにくい電波No.1の携帯電話会社の電波では、重たくて、そもそも、観れなくなっちまう。
奇麗な大画面で観たければ、映画館に行くか、コンサートに行くか、DVD等のソフトを、ちゃんと買うか、ビデオ・オン・デマンドしなさい!(笑)
●動画メディアは、受け取る(観る)のは、まぁ簡単だが、発信するのは、やや、いや結構大変!!!
僕も、去年の秋頃に、iPhone4Sを導入してから、やっとこさ、自分の動画をUP出来る様になった。
もっと高画質でUPしたいなら、ちゃんとしたビデオ・カメラと三脚が要るだろうし、複数のカメラで撮って編集するのは、普通の方々には、ちょっと無理があるだろう。
何故なら、機材を揃えても、マン・パワー、ライティングも含めた撮影技術が要るだろうから。
編集するには、編集技術と「構成力」が要るしね。
要は、映像って云うのは、一番手がかかる!
まづ、1人で全てやるのは困難である。
撮影者と、出演者が同じ場合は、固定カメラなら出来るが、キャラクターもコンテンツも、
つまらなかったら、たぶん誰も観ないだろう(笑)。
逆に云えば、キャラクターやコンテンツが、つまらなくても「編集」で持ってしまう場合
だってある。
TVのバラエティーの酷いの何かは、編集で、何とか持たせているものも結構多い。
設定だって、脚本は元より、音楽だって必要だし、ライティング、キャスティング、
カット割りと、諸々と、大変である。
僕が、映像に手を出さなかったのは、周りで映像に手を出していた友人・知人の苦労を知っているからである。本当に大変なんデスよ!!!
撮影は、ロケもある。お金もマン・パワーも非常にかかる。
撮影が終わったら、編集と云う緻密な作業が待っている。
バンドでライブを演るのに近い大変さがあるが、それより遥かに大変だろう。
●バンドは、勢いで何とかなる場合があるし「音」だから、何か鳴らせば、路上だろうと、倉庫だろうと、誰かの家だろうと、何とかなる。メンバーも3人も集まれば、取りあえず形らしきものは、出来る。
映像もそうだが、一番大変なのは、人間関係(笑)
「音楽性の相違だ!」「お前とは顔も会わせたく無い!」「体調を壊して出れません!」とか、
言い出したら「全ておじゃん」である。
レコーディングは、その辺は、大丈夫なの。
別々に録音して、後でMIXすればそれなりのものになるから(一発録りの場合は別だけれど)。
●話は飛ぶが、自慢じゃ無いが、僕は「自分のバンド」ってーものをやった事が無い。
いや、正確には3回だけカヴァー・バンドをやった事はある。でも、文化祭用カヴァー・バンドだから、短期決戦だからこそ出来た。これが自分のオリジナル曲をやるバンドだと、賛同者が居ない(笑)。
流行よりアンテナが速過ぎて(!?)周りに理解出来る者がいない(笑)。日本で多分、20人くらいしか聴いてない様な、音楽をやろうとして募集をかけたが、そりゃ、誰も集まらないよね。
(今なら、ネットで、簡単に繋がれる確率も高いんだろうけれど、10~20代の時に、それは無理でした)
好いと云ってくれる奴が居ても、大概、音楽リスナーではあっても、
ミュージシャンで無いパターンが、非常に多い(笑)。
それが、一般化して流行り出した頃には、既に、やる気が消失している場合が多い(笑)。
でも、他人のバンドは、20個以上は手伝って来ていますね。
パートは大抵、BASS 。大体バンドって云うのは、ヴォーカルの人が「これをやりたい」と言い出すのが常! それで、ギターは次に人口が多いし、僕より上手いのが沢山居るので、直ぐに決まる。
BASSとドラムが一番人口が少ない。
だからか「千葉くんBASS弾いてよ! 今度、こういうバンドやるからさぁ?」って誘われる訳。
それで、よっぽど嫌な音楽でなければ「まぁ、いいよ」って、手伝って来た。
然し、これが、大変で疲れるんだ。
大概、選曲選び、機材選びと運搬、スケジュール管理、スタジオの手配、アレンジの指揮、
なんかをやるハメになる。
更に、ライブ直前は、人間関係の仲裁役とか、本番前に楽屋であがっている奴の精神的フォロー、等々、つまり、ミュージシャン兼「裏方」「裏バンマス」をやるハメになる事が多い。
(ミュージシャンって、我が儘な人、多いからね、笑)
だから、本番のステージでも、常に全体を「観察」している。
上物(ヴォーカル、リードギター、鍵盤)とかは、弾けてもらって構わないんでけれど、
ドラムとベースは、リズム隊で夫婦みたいなものだから、アイ・コンタクトでボトムを支えなきゃならない。
だから、ステージでも、プレイしてグルーブを出しつつも、どっか、頭や気持ちは、冷静と云うか醒めている(笑)。
他人のオリジナルだったら、ライブ・ハウス・デビュー迄は、何バンドか、デビューまで持っていった記憶だ。
手伝いなら、ヘッド・アレンジやレコーディングが、一番、楽しいかな。
クリエイティブだから。
プレイヤーって云うより、プロデューサー体質。
それで、プロジェクトが終わったら、疲れて、飽きちゃう(笑)。
やってる最中に、飽きるから、次の事考えていたりしている(笑)。
デザインと似ているね、その辺りは。
依頼されて、成り立つものだからね。
ブロジェクト(祭り)が終わったら、真っ先に、撤去・撤収に入る(笑)。
手離れが好いのが、向いているの。
人とワイワイやるのが、本当に好きかって云ったら、そうでも無いんだよ。
どっちかって云うと、孤高な在り方の方が、向いてる。
話を元に戻そう。
●ここ2年程で、USTREAM、STICKAM、等のブロードキャスティング・システムも、
結構、盛んになって来ている様子だ。
何たって、タダで、世界に放送出来る訳だから。
これらは映像だが、LIVEなので、詰まらないコンテンツだと、身も蓋も無くなってしまう。
編集が効かないからね。
キャラクターとか、それこそ、コンテンツ命である。
勢い感や、偶発性を楽しめる事も大切である。ライブだからね。
固定カメラでも、話しの内容や、話し方(ここが重要!)が面白ければ、1人でも出来る。
ちょっと、ラジオのDJやコメンテーターに近い才能が要るかな。
でも、生放送だから、録画を残して置かないと、見過ごしちゃう。
録画を残しておけば、アーカイブ的に後から観れる様にも出来る。
(僕は、録画を大抵は観るかな)
YouTubeが、録画・編集が活かせるので「映像作品向き」に比べると、
USTREAM、STICKAMは、生放送なので、創世記のTVみたいなハプニングも面白がれる向き
でしょうかね。
チャット等、インタラクティブ性(双方向性)も活かされるので、
インターネットの特性が、将に活かせるメディアである。
20年前に「構想」していた事が、やっとこさ「ちょいとは実現」出来る時代になったと云う訳だ。
20年前に「マルチ・メディア(死語)」って云う言葉が、情報学者や研究者の間で、
流行っていた記憶だが、何だか、やっとこさ、その一辺が垣間見える様になって来たこの頃である。
●「マルチ・メディア(死語)」と云うのは、当時、人間の諸器官(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)や神経伝達組織なインターネットで共有するって「概念」だったけれど、相変わらず「視覚・聴覚」止まりなのは、云うまでも無い。
だから、「マルチ・メディア(死語)」は、未だ「達成」されてはいない。
これは、現代の視聴覚(AV)優位のメディアでは、不可能!
だから「量子コンピュータ」や「電子メディアに代わる情報伝達システム」が必要な訳だろう。
それが、僕が5感を超越した領域に入っていった理由かもしれない。
3次元的な、領域を超越した「メカニズム」「システム」「方法論」が必要だからね。
こうした能力は、古代人の方が優れていた。現代人は「利便性」と引き換えに、そう云った
「超越能力」が「退化」しちゃったからね。
オーストラリアの「アボジリニ」とアメリカの先住民たる「ネイティブ・アメリカン」達は、
今でも、そういう能力で、時空を超越して、コミュニケーションを取っている数少ない人々である。
●SNS、ブログ、YouTube、USTREAM、STICKAM、そして、TV、書籍、レコードやCD、映画、等も、メディアそのものの特性に内容が規定される事は、前回の日記で「マークルーハンの言説」
の通りであるが、結局は「メタコンテンツ」が重要なのは、
今も、昔も、変わらないだろう。
つまらないものは、やはり、つまらないのである。
「マーシャル・マクルーハン」が、現代に生きていたら、
インターネット環境を取り巻く「メディア」を、どう定義したのだろうか!?
そして、あの有名な「MEDIA IS MESSAGE: メデイアこそがメッセージであり、コンテンツは、その中に包含されてしまうものである」と云う言説は、有効なのだろうか?
夜中のTVが何となく、癒してくれたり、何となく観ていても面白いのは、
マクルーハンの言説は、今でも、有効な証拠のかもしれない。
●そして「古代の部族的な」在り方の中で、口承伝達や非言語的コミュニケーションによって伝えられた「情報」が、「グーテンベルグの印刷技術」で複製可能になって、現代に至る訳だが、
それ以前に、ギリシャ時代に、既に、アルファベットの出現により「視覚優位的」な「感覚意識」の発達は伺える。「原始的な感覚意識」を復活させ無ければ、我々の「進化」は遅れると、私は思う。
これが「電子メディア(視覚優位な)」では無く「量子メディア(非視覚的; 形而上的な)」によって拡張されることで、それ以前の人間とは異なる生物に「変化・変容」する「ヒト」と称される生物群の変化の様相を綴ったものだと云う意味で「人間」は進化しているのだろうか?
私自身「リコネクション」や「幾つかの量子的変容セッション」を提供しているが、
現代では、非科学的と云われる様な「感覚意識」を体感された方々は、
人類の「進化」にいち早く、参加した事になるのとも言えるのでは無いだろうかと思う!
●TVメディアは、「意図的な編集」を除けば、
実は、或る意味で、コンピュータより「意識的に」情報に参与する
部分が少ないと云う意味では、「原始的な感覚意識」に、むしろ近いメディアなのかもしれない。
「神経伝達組織の拡張」であるインターネット的な側面が上手く行かされていない面を除けば、
やはり、リニア(線形的)な現代のコンピュータよりは「COOLなメディア」なのかもしれない。
そういう意味では、ノンリニア(非線形的)な「量子コンピュータ」
「量子TV」「テレポーテーション」「テレパシー」みたいなメディアや能力での情報伝達・コミュニケーションが必要なかもしれない。
でも、3次元に行きている我々、地球生命体は、その「限界」「制限」があるから、
或る意味、面白いのかもしれない。
非常に、お気に入りの、ユル〜い、感じの「高橋幸宏のUSTREAM」
僕的には、鈴木慶一さんとの漫才コンビの様な、感じが、大好きです(笑)。
20011年に、THE BEATNIKSのコンサートを中野サンプラザに
観に行きましたね。
(最後迄、お読みになって下さり、ありがとうございます)
感謝!
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