僕は、親や教師や、周りの人達に、かなり、誤解されて来たらしい。
それで「捻てる」「素直じゃ無い」と、よく云われた(笑)。
だが、殆ど、そういう気持ちは、自分の中には無かったし、今も無い。
1980年代特有の「捻り」と云うのはある(そういう世代なのかね、笑)。
だから「解り難い」とも云われるのだろう。
実は、殆ど「計算する」と云う事をやらないし、好きでも無いし、
無自覚に生きてきた。
親しい友人に「小学校の頃はどんなだった?」と訊くと、
「先生に好く思われたいと思っていた」「ライバルが居た」
「他人と競っていた」 「誰かに受けようとしていた」「学級委員を目指していた」等々。 と云われ、
「はぁ、そうなんかねぇ?」「僕は、全く、それは蚊帳の外だったかな~」と云う 会話をした事があった。
更に旧い友人に「お前は、捻っている様に観えて、一回転してしまっている」とも云われた。
まぁ、「無自覚だった」「ボケていた」「外側の事はよく解らん」と云った
感じだろうか(笑)。
それは、その後も、あまり変っていない。
いや、それはウソかな(笑)。
「普通にやろう!」とか「皆に合わせよう!」とか、企んだ事もあったかな(笑)。
しかーし、結局は、自分の身の丈に会わないのか、ダメなんだな、これが!!
そういう「打算」「計算」が不得意なんですよ。
自分にウソをついていると、苦しくなるしね。
だから、やっぱり、そういうのは「や~めた!!!」となった。
20代は、まぁ、なりゆきの末に、美術や音楽を中心に生きていたのかな。
30代は、デザインとかを、やっていてた。
40になった頃に、何だか、よく解らなくなって、
「イギリスにでも、行くか!!!」と後先も考えずに、半年位、行って
暮らしていた。
周りの人達は「行くな!!」とか「無茶をするな!!」とか「好い歳をして、何を血迷ったのか!?」等と、云われたが、結局、気が付いたら、グレート・ブリテン島に、上陸してしまっていた。
帰国後も「ああでも無い、こうでも無い」と迷いつつ、
瞑想ならぬ、迷走状態であった(笑)。
しかーし、結局、過去の事は、あっさり、棄ててしまい、今に至る(笑)
「懐古主義」に走るのも、こだわるのも嫌だし、飽きたしね。
デザインの本当の意味は「計画」と云う意味なのだが、
そういうのが、詰まらなくなったのは
デザインをやっている時から感じていて、
「あぁー、もう、どーでもいいやぁ~」となった途端に、デザインと云うより、
逆の事をデザインと云う事の中で、やっていた。
自分では、密かに「逆デザイン行為」と面白がっていた。
これは、もうね「狙って」やっても、好い物なんか、出来ないんですわ。
それは、よ〜く解った。
その結果、案外、好い作品と云うか、仕事と云うか、遊びと云うか、
まぁ、そういう、結果になったりした。
もう10年前には、「デザイン的な考え」は大して意味が無いと云うか、つまらないと云うか、止めた訳と云うか、単に飽きたのだ(笑)。
実は、計画的・綿密・緻密・神経質に、やるのは、放っておくと、得意なので、そういう方向に、ついつい、行きがちなのだが、それをやっていると、疲れるし、身体も壊すし、反対に、どっか、抜けていると云うか、ズボラなのか、単純なのか、その逆なのか、よくは解らないが、最終的には、
「結果オーライなら、まぁ、何でも、いいや!!」と云うところもあって、
何か、変な、バランスの取り方をして、結果オーライになって今に至っている。
そういう意味では「反面教師」なのか、最初の計画通りに行く、と云う事、
つまり「予定調和とは、ツマラナイ!!!」と思っているのかもしれない。
最近は、それが、より、加速していて、テキトウな部分が面白くなって来ている。
それを、巷では、「偶発性」「偶有性」「ファジー」「ハンドルの遊び」とでも云うのだろう。
若い頃は、ガス抜き行為の「排水口」があんまり無かったので、苦しんだ事もあったが、今は、沢山の「排水孔」をつけてあるので、ラクである(笑)。
一見「いい加減」に観えるが、だいぶ、本質に近づいていると感じるから不思議だ。
そういうのは、故、岡本太郎さんに出会ったあたりから、気づき始めた。
特別、岡本太郎さんのファンと云う訳でも無かったのだが、
成り行きで、装幀の仕事で、故、岡本敏子さんに会ってから、その本質が、実感出来た。
敏子さんは「皆が、岡本太郎みたいになればいいのよ!!」と、よく口癖の様に云っていたが、それは、つまり「自分自身に成ればいいのよ!!!」と云う事だと思う。
「他の誰でも無い自分に成る」「自分の筋がある」「自己実現する」
まぁ、どれも、同じ意味だろう。
それは、即ち「自分に素直になる!!!」と云う事だと思う。
人の意見は、あくまで「参考程度」にしか成らないのだと思う。
だって「自分の食事や睡眠は、人には替わって貰えない」からだ。
これは、例えとしても、一番、解り易いし、的を得ていると思う!!!
それは「宇宙の法則=当然=当たり前の事」の一番、基本だとも思う。
即ち、自分に「素直:ストレート」と云う事だろう。
だから「流行」や「常識」とかには、僕は、割と「疎い」んだな。
以下の人達は、「素直:ストレート」の代表みたいなフィーリングがあるね。
★Taro Okamoto Explosion
この人は、自分に正直の「代表格」みたいな人だと思う。
★岡本敏子の言葉
敏子さんは、このまんまの人だったなぁ。
★矢沢永吉「永ちゃん俺たちはもう一度走れるだろうか」2/2
この人も、変っていないけれど、やっぱり、自分に素直でストレートだね。
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