いつも、思うのだが、皆さん、自分以外の存在に成りたがっている方が、とっても、多いと感じる。
最近、と或る、20代の若い女性が「勝間和代」の顔が、バーンと載っている雑誌を、私に見せて、「このヒトって、カッコいいですよね。私、このヒトみたいになりたいんです!!」と、かなり、力んで、云われた。
私は「まぁ、人それぞれだからねぇ~」とだけ、云って、そこで、何か、云うのを止めた。その女性は、ちょっと、パニック状態的だったからである。
最近は、何が、多いのだろうかは、よく知らないのだが、
10年前に雑誌のデザインなんかをやっていた頃は「あゆ(浜崎あゆみ)みたいになりたい!」と云う人も沢山居て、そういう格好をした人が沢山居た記憶だ(まぁ、ファションや格好だけなら、いいのだが…)。
モノマネ、コスプレ、完全コピーバンド、偽(!?)セレブリティー、と、なにか、自分とは、別物になりたい人が、とっても多いとも感じる。
私だって、そういう時代もあった(苦笑)
男の子の場合、もの心ついた頃には、何故か(!?)
「電車になりたい」とか
「ウルトラマンになりたい」とか
「スーパーカーになりたい」とか
そういうのが、多い(爆笑)
それは、やがて、
「電車の車掌になりたい!」
「ウルトラマンの様なヒーローになりたい!」
「スーパーカーが欲しい!」
に変化する(笑)。
これを、そのまま、実現してしまう人も、実際に居る(これは、これで、一種の、自己実現ではあるが…)。
更に、やがて
「電車の車掌は無理そうだけれど、電鉄会社に勤めたい」
「撮影所で働きたい」
「スーパーカーのメカニック(技師)になりたい」
に変化する。段々と、消極的と云うか、現実的になっていくのが、寂しいが(苦笑)。
しかし、「勝間勝代みたいになりたい」「あゆみたいになりたい」
と云うのは、ちょっと、違うトーンを感じる。
本当の自分を見失って、対象と「同化」している様なトーンが強いと感じるからだ。
まぁ、これらは、全て「刷り込み」の賜物であるのは、間違い無いだろう!!!
「電車になりたい」は未だ程度としては軽い(男の子は、移動物が好きなんですな、笑)が、 「ウルトラマンになりたい」は、既にTVの観過ぎで「マスコミの刷り込み」が入っていると思う。
思春期になると「マイケル・ジャクソンみたいになりたい」とか「太宰治みたいに生きたい」とか、変な(!?)時代に突入する(笑)
もっと、遡ると、「お父さんの様な人になりたい」とか「三菱会社の社長になりたい」とか、明らかに、親の影響・社会的な、刷り込みがモロに出ているケースもある。
「親を越えなさい!」「親を越えろ!」って〜言葉を、たまに聞くが、
元々、「親と自分は違う存在だ」と、私は思って来た(悪い意味じゃ無いよ、笑)。なので、鼻っから「越える必要も無いし、私は私の道を行くのだ!!」と思っていたし、今でも、それは変らない。
おっと、ちょいと、脱線(苦笑)。
別に、楽しんでやっている分には、何も、問題は無いし、構わないのだが、何か、コンプレックスの塊みたいになって来ると、話は別である。
「自分自身を愛せない」「自分を好きになれない」「自分と云う存在を消したい」「自分とは、別のキャラクターを演じよう」と云う感じになってしまうと、ちょいと、話が、違うんじゃ無いかと思う。
自分自身(本来の自分・自分の本質)を見失っているからだ。
「ありのままの自分を許容する」と、その辺は、実は、凄く楽になるのだが、中々、刷り込みと云うものは、強いもので、抜けるのが、大変らしい。
しかし、物真似的と云うか、他のキャラクターを上手く使うのは、アリだと思うし、私もよく使った(笑)。
「役者さん」と云うのは、これを仕事にしているのだろう!!!
私は、人に教える時には「物真似感覚」「なりきり感(私の造語です)!!」と云うものは、かなり、使ったものである。
美術予備校の講師をしている時なんぞは、当時、大学で習っていたキャラの立っている教授のを取り入れたり、古畑任三郎のキャラを、よく使用したものだ(笑)。
これは、1つの演出でもあり、遊びでもあるのだ。家に帰れば、素に戻る。
(と云ってても、まぁ、私自体が、マンガっぽいと云われるし、スラップ・スティックな面があるのは否めないので、素に戻っても、「なりきり感的なトーン」ではあるが、苦笑)
高校生の頃から、楽器屋に行くと、よく楽器屋の壁に「メンバー募集!! 当方ヴォーカル&ドラム。テク(テクニックのある)のある、ギター、ベース急募!!
尚、当方のバンドは、完全プロ指向の、●×△の完全コピーバンド!!!ヨロシク!!! 」的な張り紙を、よく観かけた。
「完全プロ指向で、何で、オリジナルじゃ無くて、コピーなんだろうか!?」と首を捻った事がよくあった(笑)
私は、カヴァーは好きだが、完全コピーには、興味は殆ど無い。
宴会芸としては、まぁ、いいが、それ以上は、やりたく無い感じだろうか。
しかし、全ては「模倣」から始まる。と云う事もある。
なので、否定はしない。
美術のデッサン(写実)なんかは「究極の模倣」の1つであるとも感じる。
まぁ「モノマネ感覚」に、もの凄い近い!!
しかし、何故か、皆さん、「デッサン(写実)=テクニック」と、勘違いしている生徒が沢山居て、教えるのに困った事もあった。
「デッサン(写実)=観察眼:ものの見方、捉え方」と、悟るのに、1ケ月で修得する生徒も居れば、4~5年もかかる輩も居たりする。
ヒーリングも然りである。
「ヒーリング=テクニック」と云うのは、あまり好きでは無いし、本質的に、違う様な気がする。
音楽も、美術も、ヒーリングも、感じる(feelする)事が一番大切なのだと思う。
「自分以外の存在に成りたい人達」「自分と他人を比べる人達」
「他人と競争したがる人達」「自分の外側に、何か色々と、あるんじゃ無いかと思っている人達」etc...
これらは、全部、同質なトーンを持っている。
しかし、それは、ちょいと、思い違いじゃ無いかとも思う。
実は、自分の中(内面・内側)に、全てあると感じる。
そうした「個」が響き合って、調和して、全体で、存在している。
そんな感じだろうか。
「最強の敵は、自分の中に存在する。最強の神も、自分の中に或る。」
と云う感じの歌詞の歌を20年前位に、よく聴いていたが、それは、こういう事を
歌っていたのだなぁ~と思った。
★高橋幸宏 / Left Bank (左岸)
(中間の短い部分に注意)流石、高橋幸宏さん、鈴木慶一さん。解っていたのだなぁ~。
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