クリエイトと云うこと。
これは、ものを創っている者には、とても、不思議な感覚を伴う。
本当に、好い物が、出来ている瞬間と云うのは、
「自分では無い何かが、創っている」
「自分は、触媒・媒体として、機能している」
今風に云えば
「チャネリングしている」
もっと、大袈裟に云えば
「神や宇宙が、そうさせている」
とでも云えばいいだろうか。
自分で、創っているのだが、何か、別の、もっと、高次の存在によって、創らされている感覚が伴うし、その瞬間は、もの凄い恍惚状態である。
そんな事を云うと、普通の人は、
「おかしいんじゃない?」と思うかもしれない。
しかし、視覚でも、音楽でも、味覚でも、触覚でも、嗅覚でも、
これら「五感」をフルに使っているのだが、それ以上の感覚=「直感とか第6感」とかが、確実に、拡大しているのを、感じるし、知っている。
俗に云えば「トリップしている」「イっている」「トランス状態」と云うものだろうか。
まぁ、「ナチュラル・ハイ」であるし、「地球・宇宙が相手」なので、大変に、盛り上がる!
「創作」とは、そういう感覚を伴うものだと、私は、知っているし、数多の芸術家や、科学者も、そういう瞬間を、感じていると思う。
別に、特別な、何かを、無理に、つくり出しているのとは、違う。
「より、自然な法則を捉えた!!」
「新しい方程式をみつけた!!」
「何か、降りて来た!!」
と云う感慨と云った方が近いだろうか。
そこに、創作者の、ちょっとした「パーソナリティー」や「ユーモア」や「ロマンティシズム」なんかが、付け加えられている、と云うバランスが、大抵、一番好い!!
そういうものは「直感的に」、大抵、もの凄い短時間で、大方の部分は、頭の中では出来上がっているのだが、それを、この3次元の世界に具体化するのが大変なのである。手間と、時間と、人間と、エネルギーが、相当に要るからだ。
逆に、机や、楽器に向かってても、何も出ない時は、出ないし、無理矢理、造っても、駄作になる場合が多いと感じる。スケッチなので、大したアイテムが無くても、実は出来るのだ。
色々と、アイテムやら、ガジェットやら、パラメータ(いじる所)があり過ぎると、それの操作にエネルギーを費やされてしまって、ダメな場合が多いので、昔のやり方が好かったりする。
私は、視覚芸術や、音楽を創っている時に(まぁ、大抵は、「構成」の部分だったりする)、どうしても、上手くいかない、つまり、煮詰まってしまう時は、「宇宙に放り投げてしまう」(微笑)。
まぁ、大抵は、「寝てしまう」とか「散歩をする」など…。
すると、不思議と、「夢の中で、ちゃんと、アレンジが出てきたりする」から、不思議だ。それで、起きて、実際、その通りやってみると、ちゃんと、パズルのピースがはめ込まれる様に、上手く出来てしまう。
音楽なら、「悩んでいた、リズム・アレンジを、有名な音楽家が出て来て、こうこうと、教えてくれたり」「天使みたいなものが音楽を奏でたり」し、視覚なら「目も眩む様な、色彩と形で示してくれる」。
ちょっとした、短編小説程度の、ストーリーの「明晰夢」なら、結構な頻度で見るので、「夢日記」として、書き溜めてある。
そういう中には、「予知夢」的なものも、あるし、「シンクロニシティー」を充分に、示唆するものも、沢山ある。
こういう事は、今に、始まった訳でも無く、かなり、小さい頃(多分、2歳くらい)から、あるので、私の中では、日常的であるし、「3次元を越えたリアリティー」の様な感じもする。
(幾つかの本では、「6次元」に行っているらしいそうだと、書いてあった)
どうして、そういう感覚が来るのか、よくは、解らないが、とにかく、面白い。
「夢を再現・記録できる装置」があったら、一番いいのだが、未だ、そういうものは、開発されていない。
下手な、他人の創作物より、面白いし、感動も凄いので、お金も、かからず、エキサイティングなのだが、それを他人に伝え、共有するのが「至難の業」なのが、ちょっと、難点だ。
優秀な芸術家や科学者は、それを「共有言語」「共有体験」にまで、「昇華」させる事が出来る人だと思う。
近い、将来「テレパシー」なんかで、共有出来る様になれば、もっと、面白くなると思うのだが、如何なものだろうか。
しかし、飛行機なんかに乗っていて、「成層圏」なんかから、下界を眺める時の、「雲の感じ」なんかを観るにつけ、「一番凄い、芸術や科学は、自然がつくり出したもの」だと、つくづく、思い知らされる。人間のやっている事なんて、ちっぽけなものかもしれない。
★Prefab Sprout 「The Mystery of Love」
★God Only Knows: 神のみぞ知る
天才ブライアン・ウィルソンの名曲!
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